青春バンザイ!(’64-’66、綿森 宣行)

  • 2021.6.13

それは今から半世紀も前、ハワイで素晴らしい青春を愉しんでいたEWCの時代のこと。

Honoluluには各国からの留学生が集い勉学に、余暇には友人らとの交流に、いそしんでいた。更に恵まれていたことに、私にはハワイに多数の親戚がおり、「友人も連れて来て」と色々な機会に招待され、ご馳走にもなった。今こそ一般的な観光スポットになっているダイアモンドヘッドだが、当時は陸軍の管轄下に有り、年一回のオープン・デイに親戚の人に連れられて登ったのを覚えている。

Eさんと共同所有した、いささかポンコツのビューイック・コンバーティブル(V8エンジン、5000CC)を颯爽と走らせ、ビーチに、島巡りに、空港へ、と大いにその乗り心地の良さを満喫した。椰子の並木通りをハワイアン聞きながらのドライブ、仲間とハナウマ湾やサンセットビーチに向かう前には、レストランでおひつに入れて出されるごはんをおにぎりにして持って行き、水泳後の癒しとした。

忘れられぬ思い出: オアフ島の日本に一番近いカエナポイントと言う灯台のあるところは、舗装道路はなく、“Proceed at your own risk” の看板のあとは岩あり、穴ありのでこぼこ道。戦車のようにこの荒れ地を突き進んで、目的地に着き、オープン・カーから歓声をあげているのが貴重なスナップである。女の子を乗せオープン・カーにして、走っている内、喜んだ彼女たちが楽しさのあまり、後ろの座席に立ち上がり、パトカーに注意された冷や汗もある。

英語のおぼつかない、大学卒業の年に、恵まれた全額奨学生の待遇を受けられたのはまさに僥倖、米国のフロンティア精神の賜物であった。化学専攻であったため、他の友人らのように本土での一学期の授業を受けることが無かったので、代わりに、自分のプログラムにより3週間、単身での全米周遊旅行もさせて頂いた。この時、ボストンからナイヤガラに向かう途中、機材の不具合で出発空港に戻って来たのも分からず、“Most happy fellow!”と言われたのも今から振り返ると当時の英語レベルを表している。 EWCで知り合った友人達とはその後も良い交友を続けている。

PS;ルートは Makaha 側から。2010年にも友人の車で再訪をトライしたが、残念ながら、立派な車の所為も有り、車の底を岩がこする状況で ギブアップした。私の乗っていたビューイックは、V8エンジンで 5000CC と後ほど日本でこの様な仕様は大型トラックで、すごいのに乗っていたのだなと感心した!! カラカワ通りからカハラ・ヒルトンに向かうドライブは夕方、ハワイアンを聞きながらとても快適だったのを今も懐かしく思い出す。